molumism’s blog

以前留学していたアメリカのボルチモアでの体験や、お気に入りの節約レシピなどを中心に書いています。

アメリカで初ビール

 ボルチモアに到着したのは、水曜日か木曜日か、そのあたりであった。大学には何日の何曜日に来るように、などとは特に言われていない。こちらから訊かなければいけないのかもしれないが、私の悪い癖で、「昨日着いたばかりだし、まだいいよね?」と勝手に判断し、その日は部屋の整理や電話の登録などをした(もしかすると他にも、先述の日本人女性 T さんに連れられて銀行口座の開設などにも行ったかもしれないが、よく覚えていない)。そしてこの日、私にとって最もしなければならなかったことは…リカーショップを探すことであった。日本を発ってから一滴もお酒を口にしていない。アパートにはやや不安定ながらフリーWiFiが備わっており、早速つながったインターネットで近くのリカーショップを探した。

 私が住んでいたThe Baltimorean ApartmentsはNorth Charles street沿いにあり、近くにはジョンズ・ホプキンス大学のホームウッドキャンパスがあった。その周辺を探して、Eddie’s Liquorsというお店を見つけ、行ってみることにした。

 ここはかなり多くのお酒があって、私の目的はビールだったのだけど、ビールだけでも相当な種類があり、どれが美味しいんだろう…と迷ってしまった。結局この日選んだのは、有名なSAMUEL ADAMSと、以前ワシントンの学会で飲んで美味しかったPEAK ORGANICというビール。おつまみに何を食べたのか忘れてしまったが、日本を発って以来アメリカで初めてのビールは、この上なく美味しかった。

 結局、大学までの交通手段など調べるのになかなか気が乗らなかったことや、天候不良なども重なって、留学先の大学に行ったのは次週の月曜日であった。

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Eddie's Liquors(写真左方にある青い看板)

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ビール



ボルチモア初日

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 九州から成田、ダラスを経由してようやくボルチモアへ到着した。長かったが、トラブル続きで、とりあえずは無事到着できたことに安堵した。空港に車で迎えに来て下さったのは、名前は忘れてしまったが、50代くらいと思われる男性で、アパートに着くとボルチモア在住の日本人女性、T さんが迎えてくれた。小柄でショートカットがよくお似合いの、素敵な方だった。T さんは、日本人留学生の生活立ち上げのサポートをお仕事とされている。私もボルチモアへ行く前に、あらかじめ彼女にメールでお願いしてアパートも決め、当時私より先にご主人が留学されていた S 先生が、家具も部屋に運んで下さっていた。間接照明やテーブルなどの家具は、私の前任で留学されていた A 大学の T 先生が無料で提供して下さり、S 先生のお宅で預かっていただいていたのである。

 アパートの部屋はかなり広く、玄関を入ってすぐ右手にクローゼットが、正面には10畳くらいの部屋があり、その奥に8畳ほどの台所があった。バストイレはクローゼットを過ぎて右側にあり、T さんがすでにカーテンを入手してバスタブの仕切りを作って下さっていた。その他冷蔵庫、電子レンジなども完備してあり、すぐに生活ができる環境が整っていた。

 ひとまずクローゼットにスーツケースを置き、T さんと買い出しに出かけた。まずはホームセンターのようなお店(名前は忘れた)で、携帯電話を購入した。長期ならば日本のように携帯電話会社と契約をするようだが、私の場合は10か月間だったので、現地でとりあえず電話機能だけあればよいだろうとのことで、電話機とSDカードのようなものを購入した(ネットで調べると、「プリペイド携帯」というらしい)。後ほど家で説明書に従って登録すれば、電話を使えるようになるとのことである。その他、洗剤や石けん、ティッシュペーパーにトイレットペーパー、食料品などを購入し、アパートまで送っていただいて一段落。

 のはずが、またもやトラブル発生。スーツケースはどこ?あれ、さっき出かけるとき部屋の鍵掛けたよね?まさか泥棒?焦った私は、部屋を出てアパートのロビーまで降りた。そこで、T さんに連絡をしようとするも、電話はついさっき購入したばかりで登録もしてないから使えない。えーと、どうしよう。そんな明らかに焦った様子の私に、一人の若い外国人女性が「どうかしたの?」と声を掛けてくれた。空港でもそうだったけど、またもやトラブルに英語で対応しなきゃいけないなんて…。それでも、スーツケースがなくなってしまったこと、T さんに電話をしたいが持っていないことを無理矢理な英語で必死に伝えると、彼女が自身の携帯電話で T さんの番号に掛けてくれた。しばらく彼女が T さんと話した後、「代わってくれって」と言われ、電話を代わると、T さんに「部屋を入ってすぐ右にドアがあって、クローゼットがあるでしょ。その中に置いてますよ」と言われた。ああ…そういえばそうだったっけ。慣れない土地に一人で来ると、人ってこんなにも余裕がなくなるんだな。その親切な彼女に事情をまた拙い英語で伝え謝ると、彼女は笑って「良かったわね、私はケイト(K8とメモに書かれていた)。困ったらいつでも電話して」と電話番号を書いた紙を渡してくれた。親切な人って、どこにもいるものだな、と明るい気持ちになれた。

 この日の夜は、T さんが作って下さったおにぎりをいただいた。美味しいおにぎりに大好きなビールも飲みたかったが、ここボルチモアでは、法律によりスーパーには売っておらず、かといってリカーショップに行く気力もなく、この日は一滴もアルコールを摂取することなく眠りについた。ベッドは、これからお世話になる研究室の Y さんにいただくことになっていたので、この日は硬い床に 掛け布団を敷いての睡眠だったが、かなり疲れていたため、いつになくぐっすり眠ることができた。

 

 注)写真は、ベッドをいただいた後に撮影したものです。

渡米中の出来事

 九州のとある空港で両親に見送ってもらい、成田へ向かった。実は初っぱなからトラブルがあり、早くも疲れてしまった。日本食をなるべく持って行こうと、醤油やらごま油やら液体調味料を結構な量スーツケースに入れたため、荷物が重すぎたのである。幸いなことに、スーツケースは2個あって、もう片方のに入れ替えて重量を分散させたら大丈夫とのことだったので、母と共になんとか詰め替え、出発した。

 あまり覚えてはいないが、成田での手続きも順調で、国際線でダラス国際空港へ向かった。機内でビールを注文しようかとも思ったが、さすがに何か入国の際トラブルがあったら…と思い、我慢した。本当に悪い予感は的中するものだと、今でも思い出す。ダラスで国内線に乗り換えてボルチモア・ワシントン国際空港へ向かうはずだった。のだが、担当者にパスポートのVISAをみせると、その他にも何か書類を求めている。DSと呼ばれる入学許可証のことであった。VISAを取得するのにも、このDSが必要で、とにかくこれがなかなか入手できなかったために、VISA取得に時間がかかった、あの書類である。あれも必要だったのか…しまった。記憶では、確かにDSも渡米の際必要だと事前に確認したはずなのに、なぜ直前になって、敢えて実家の部屋に置いてきてしまったのか。部屋で荷物に入れるか一瞬考えたことは覚えている。でもなぜか、「いや、VISAがあればいいはず」そのように思い、敢えて置いてきた。あーもう、本当どうして!

 しかし、ないものはない。別室に連れて行かれ、待機する。乗り継ぎ便に間に合うか。実は後で聞いた話によると、DSを忘れたら、最悪の場合日本に取りに帰らされた例もあるという位の事態だったのだが、呑気にもそのときは乗り継ぎ便の心配ばかりしていた。そして、順番が来ると、名前や年齢などいくつか基本的な質問をされ、パソコンの画面を見ながら確認作業が行われた。しかし、なんだか不思議な質問もあって、「どうして忘れたの?」と言われても…私もわからない。そして、またしばらく待つように言われ、待機。私はとにかく乗り継ぎ便のことばかりが気になり、近くにいた男性スタッフに拙い英語で尋ねた。「私、乗り継ぎがあるんですけど…」今思えば、本当に呑気な質問であるが、彼は「多分大丈夫じゃない?」というニュアンスの言葉を返してくれた。そして再び呼ばれると、また色々と訊かれた上、最後に「身長と体重は?」と、そんな情報もともとそちらのデータにあるの?何の確認?と思うような質問を受け、無事その場は切り抜けることができ、ボルチモア行きの飛行機にも乗ることができた。

A大学にて

 留学の話が決まってから、私はまず実験手法を学ぶため、2015年4月より2か月間、留学のお話をいただいた A 大学の職員として働かせていただくことになった。結局私は学位論文が間に合わず、博士号は未取得のまま、それでもなんとか学位審査やら引越しやらを済ませ、4月1日から A 大学に勤務した。ありがたいことに、A 大学には非常勤講師のための宿泊施設があり、2か月という短い期間なので、そこに一泊数千円という破格値で宿泊することができた。

 A 大学では、主に動物実験の手法を教えていただいた。先生方、スタッフの皆さんは大変仕事熱心で、朝早くから出勤し、真夜中まで大半の方が残業をされていた。そこまでの情熱も体力もない私は、せいぜい夜の8時か9時くらいが限界で、ほぼ毎日お先に失礼して、コンビニで夕食とお酒を購入して宿泊施設で一人晩酌を楽しんでいた。当時私と同様4月から入社された O さんという方が特に仲良くしていただいて、時々彼女と夕食に出かけたりした。また、同じく留学のために他大学から来られた S 先生も時々加わっていただき、3人で夕食に出かけたりもした。

 特にこの近辺で気に入った美味しい居酒屋 G へ、私は週1回くらいのペースで通った。ご主人と奥様のお二人で経営されており、記憶にないのだが、私が「肩が凝る」という話でもしたのか、ある日奥様が、ご親戚(お知り合い、だったかもしれない)が経営されている整体のクーポン券を下さった。そして日にちの希望を伝えると、親切にも車で送迎までしていただいて、施術を受けた後ご自宅まで招いて下さり、夕食とお酒をごちそうになった。意外だったのは、居酒屋のご主人なのに、お食事はどこかのスーパーで購入されたと思われるお総菜がテーブルに所狭しと並べられていたこと。いいんです、ありがたいですし、とっても美味しかったです。そして、本当に楽しかったし、おそらく一人で遠方から慣れない土地へ来た私を心配して誘って下さったこと、嬉しかったです。

 アメリカ在住のためのVISAを取得するのにも、たくさんの書類を慣れない英語で書いてはメールで送り、ボルチモアの大学の職員とやりとりを繰り返した後、米国大使館に行き、ぎりぎりで間に合った。

 こうしてあっという間に A 大学での生活は終わり、バタバタと九州の実家へ戻り、支度をしていよいよアメリカへ向かったのである。

お弁当

今日のお弁当。

基本的に1食100~150円以内で作るようにしています。

おかずは2品。それに味つきご飯。

 

今日のおかずは、

赤ピーマンとちくわのえび塩炒め、卵焼き。

と、鰹節ご飯。

 

えび塩は百均に売ってるNaledgeのものを使いました。

卵焼きは、甘いのも塩味のもどっちも好きだけど、今日は塩味。

ネットで見た、黄金比の卵焼き。今のところこれが一番好き。

 

卵1個に対して、白だし10mlと水20ml。

いつも卵は2個使うから、白だし20mlと水40ml。

で、冷めてもおいしいように、片栗粉を小さじ1弱くらい加えるんだけど、そうすると最後の一巻きのときに卵が一層はがれてしまう・・・。

写真2枚目は、そのはがれた卵(笑)

何でこうなるのかな?油をけちって少なめにしてるから?

どなたかご存じでしたら、教えて下さい(^^;

 

ちなみに我が家は健康のため、オリーブオイルとごま油しか使いません。

鰹節ご飯は、米1合に対して塩小さじ半分としょうゆ小さじ2を入れて炊きます。炊きあがったら、鰹節1袋に砂糖としょうゆとごま油を大さじ1弱くらい合わせておいたものを混ぜ込んでできあがり。

いつも朝起きてこれらを一気に作って、保冷剤の上で冷まします。その間に身支度をして食器を洗って、冷めた頃詰めて完成です。

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前の晩のおかずが残ってる場合は、卵焼きと味つきごはんのみ作ります。ごはんも冷凍ストックがある場合はそれを使います。

とにかく、楽に作って節約です。とはいえ・・今日は緑不足のお弁当でした。

 

アメリカへの留学

 そもそもどうして私がアメリカに住むことになったのか。2015年3月に、私は九州にある母校の大学院を卒業した。その数か月前、2014年11月にアメリカの首都ワシントンDCでの学会に参加した際、とある大学の I 教授と懇親会でご一緒させていただいた。その後、2014年12月だったと思うのだが、当時通っていた大学院で学位論文のための研究をご指導いただいていた K 教授に、「 I 先生からメールで、留学の話が来てるんだけど、あなたどうする?」というお話をいただいたのである。それはちょうど、学生実習の補助をしている最中のことであった。

 ただでさえびっくりして、「えー、私が留学?えー、どうしよう!」という心境なのに、K 教授は淡々と、なるべく早く返事をするように、とおっしゃった。まあ早くといっても…人生の一大事だし、来週くらいまででいいよね?なんて考えは甘かったようで、もう翌々日には K 先生からの催促が待っていた。しかし私は、迷いはしたものの、基本的には留学に行く方向で考えていた。お話をいただいたその夜、まずは当時のボーイフレンド(現在の主人である)に相談した。「留学とか、かっこいいよねえ?えー、でも、どうしようかな」と言う私に、予想通りというか、彼は、「うーん、でもなかなかない機会だし、行ったら?」と言ってくれた。その後両親にも相談し、母は少し渋ってはいたものの、結局は「まあ、行ってみたら」と言ってくれた。その他当時の上司 H 先生にもご自身の留学体験談を伺い、私の決心は固まった。

 そんなわけで、実のところ、かなり本格的な研究のための留学だったのだけれど、私はほぼ「留学、かっこいい!」という理由でアメリカ行きを決めた。

祝・初ブログ

本日、人生で初めてブログを開設しました。

以前アメリカのボルチモアというところに約1年留学していました。それから6年ほど経ち、最近改めて写真を整理しながら、当時の思い出を文章でエッセイ風に書き始めました。こんな素人が本を出版する、などということは絶対不可能ですが、もしもブログで読んで下さる方がいらっしゃったら嬉しいな、というのが開設のきっかけです。

以前から節約も好きで、とうてい万人受けはしないと断言できる、でも個人的には好きなレシピなども、ご紹介したいと考えています。

とにかく、好きなことを思いのままに書いていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします!